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26.01.27
伊原 薫
大阪生まれ・大阪育ちの鉄道ジャーナリスト。2013年よりライター・カメラマンとして活動。京都大学大学院の交通政策研究ユニットで学び、都市交通政策技術者として非常勤講師なども務めた。

鉄道会社と人々をつなぐ接点といえる「駅」。そのすべてにはさまざまな歴史があり、ある駅は昔のまま、ある駅は大きく姿を変えながら、今日も皆さんの生活を支えています。
このシリーズでは、阪急・阪神沿線を中心に昔の写真を掘り出し、今の姿と見比べながらご紹介します。今回取り上げるのは、阪急電鉄千里線の南千里駅です。

1950年代後半、日本は第二次世界大戦による被害から復興を遂げ、高度経済成長期へと突入します。それに伴って都市部には人が集まり、大阪でも住宅不足が顕著に。そこで、大阪府北部の千里丘陵に日本初の大規模ニュータウン「千里ニュータウン」が建設されることになりました。
一方、住宅を開発するにあたっては、そこに住む人々の“足”の整備も不可欠となります。特に、千里ニュータウンは住宅数が3万7000戸以上、居住者数は約15万人というとてつもないスケールのため、新たな鉄道路線が求められました。
そこで、阪急電鉄(当時は京阪神急行電鉄という名前でした)は大阪府などからの要請を受け、千里山線(現在の千里線)を当時の終点だった千里山駅から北に延ばすことを決定。その第1期事業として、千里ニュータウンの南地区センターに至る1.6kmの区間を昭和38(1963)年に開業させました。


南千里駅は、この時に新たな終点として開業。ただし、当初の名前は「新千里山」でした。また、ホームは現在の下り(淡路方面行き)ホームだけで、その両側に線路が敷かれていました。

現在の上り線(北千里方面行き)は留置線として使われましたが、昭和42(1967)年に北千里駅まで延伸した際、こちらにもホームを設置。同時に駅名が南千里駅に、路線名が千里線となりました 。

ちなみに、この千里山延長線は当初、南千里駅から北千里方面ではなく、北西に進んで千里中央を通り、阪急箕面線の桜井駅につながる計画でした。
ところが、大阪府は千里ニュータウンの北側にも鉄道を通すべく、ルートの変更を阪急に要請。協議の結果、南千里駅から桜井駅に抜ける計画とは別に、南千里~北千里間の建設が決まったという経緯があります。

こうしたいきさつから、南千里駅は桜井方面と北千里方面の双方に向かう分岐駅として、2面4線への拡張ができるようになっていました。下りホームの両側に線路が敷かれていたり、現在もホーム南側の先端が徐々に狭くなっていたりするのは、その名残です。

使われなくなった下りホーム東側の線路は後に撤去されましたが、現在もバラスト(砕石)が敷かれていて、かつてここに線路があったことを主張しています。

ところで、下りホームでは、ぜひ見てもらいたいものが2つあります。
一つは、列車の行き先案内装置。千里線は列車の種別が普通しかなく、行き先も数か所に限られるため、多くの駅で見られるLED式や液晶ディスプレイ式のものではなく、該当する行き先が書かれた半透明の板を裏側から照らす「行灯式」が今も使われています。

もう一つの見どころは、待合室付近の上部にある野鳥の紹介看板です。「千里へ来る主な鳥」と書かれているのですが、そこに描かれている野鳥はなんと約40種類。スズメやキジバトといった”メジャーどころ“だけでなく、キビタキやビンズイ、ミソサザイなどもいて、このあたりの自然が豊かであることがわかります。

南千里駅の改札口は、ホームの北千里方にある階段を下りたところにあります。高架下に収まるコンパクトな造りで、その下にも通路があるため、高さはかなり低めです。
そして、ここには1日平均1.9万人という利用者のほかにも“あるもの”が出入りしています。それは、ツバメ。数十年前から高架橋の桁下にツバメがすみ着き、ここで子育てをしているんです。毎年ツバメがやってくることから、最近は巣やフンの落下を防ぐ金具や箱を“常設”。今年もまた、元気な姿が見られるに違いありません。

駅東側には、ニュータウンの開発に合わせてスーパーや専門店街がオープンしたほか、銀行や行政施設の入るセンタービルも建設され、生活の拠点となっていました。
ただ、2000年代には施設の老朽化が進んだほか、少子高齢化や生活の多様化によるニーズの変化に対応するため、再整備を実施。現在はショッピングセンターの「トナリエ南千里」(開業当初は「ガーデンモール南千里」)、公共施設が入る「千里ニュータウンプラザ」へと姿を変えました。

「千里ニュータウンプラザ」の中には、図書館や市民センターといった吹田市民向けの施設が集まっているのですが、注目したいのは2階にある「千里ニュータウン情報館」。ここには千里ニュータウンに関するさまざまな資料が保管されていて、一部は閲覧することができます。
また、ミニ企画展も頻繁に開催。取材で訪れた時には阪急千里線が延伸されるまでの経緯をまとめた展示が行われており、にぎわっていました。


一方、「トナリエ南千里」は令和7(2025)年春にリニューアルが完了。芝生の敷かれた広場には、カフェスペースに加えてキッズスペースや授乳室もある「ガーデンハウス」が併設されています。また、ショップゾーンにはスーパーや食料品店のほか、雑貨店や飲食店など約40店舗が集まり、住民の毎日の暮らしを支えています。

ここに入っている店舗には、長い歴史を持っているところもいくつかあります。2階にある「CAFE & BAR PAVOT(パボット)」もそのひとつ。昭和46(1971)年の開店当時は、駅改札口近くにある階段を下りた1階にありましたが、駅前再整備に伴って現在の場所へと移りました。


PAVOTは、朝~昼はカフェ、夜はバーとして営業。同店向けのオリジナルブレンドを1杯ずつ手で入れて提供するコーヒーは、苦みが少なくすっきりした味わいが特徴です。
また、ランチメニューにはナポリタンスパゲティや焼きめし、オムライスといった”昔ながらの喫茶店“のメニューがあり、常連さんに人気。ケチャップライスを薄焼き卵で包んだオムライスは、子どものころお母さんに作ってもらったのと同じ、懐かしい味がしました。

駅の周辺は数多くのマンションが立ち並び、まさにベッドタウン。こちらも街びらきから半世紀以上が経ち、建物や設備の老朽化が進んだことから、建て替えや大規模改修が進行中です。取材時には、駅から続く歩道橋を渡った先のマンションで解体工事が行われていました。

ちなみにこのマンションは、上から見るとY字状になった「スターハウス」という構造が特徴でした。1950年代後半から60年代にかけて、千里ニュータウンをはじめとする各地の公団住宅で取り入れられた構造ですが、その後の建て替えなどによって徐々に消滅。
ここ、千里竹見台団地には全国的にも珍しい高層スターハウスが3棟ありましたが、現在解体中のC27号棟を最後に、すべて姿を消すことになります。
実はこのC27号棟、私が大学時代に住んでいた思い出のマンションでもあります。解体中の姿を見ていると、さまざまな思い出がよみがえり、少しジーンとしてしまいました。

一方で、C26棟の跡地に建てられた新たなマンションは地域の歴史を受け継ぎ、スターハウスに似たデザインが採用されています。

さて、南千里駅を出発した北千里行きの電車は、すぐ北側で千里トンネルに入ります。実は、阪急電鉄にあるトンネルは全線でたった3か所。しかも、そのうち2か所は「都市トンネル」に分類される地下線用トンネルのため、トンネルといわれて一般的に想像する「山岳トンネル」はこの千里トンネルだけです。


このトンネルがある一帯は、千里南公園として整備されています。広さ約10.5ヘクタールの園内にはステージや大きな芝生広場などがあり、近隣住民の憩いの場として人気。中央にある牛ヶ首池には鯉が棲み、水鳥の姿も見られます。


広場や池の周辺は合わせて約1,2kmの遊歩道となっていて、何人もの人がジョギングやウォーキングをしていました。園内には健康器具を備えたエリアもあり、四季の空気を感じながら健康維持ができるようになっています。


千里南公園には梅や桜も数多く植えられており、これから春にかけては絶好のお花見スポットとなります。松尾芭蕉や小林一茶などの歌碑・石碑もあるので、散策の際はぜひ探してみてくださいね。
写真提供:阪急電鉄
【関連情報】
写真で見る関西のいま、むかし ~第2回 西宮北口駅編~
写真で見る関西のいま、むかし ~第1回 川西能勢口駅編~
鉄道ジャーナリスト
伊原 薫
鉄道や旅、街づくりに関する記事を雑誌やwebで執筆するほか、テレビ出演や監修、公共交通と街づくりのアドバイザーとしても活躍する。鉄道の専門家ならではの目線で、阪急沿線の魅力をお届けします。
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