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26.01.22
TOKK編集部
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このエリアには文人ゆかりの寺社が点在しています。その中から、今回は平安時代の歌人・西行、戦国時代の悲劇の女性・細川ガラシャ、『雨月物語』の作者をピックアップ。古の人々とその稀有な人生に思いをはせる、そんな問題にチャレンジしてみませんか。
慶長5(1600)年、関ケ原の戦い直前に敵軍に屋敷を攻められ、大坂(大阪)で生涯を閉じた悲劇の女性・細川ガラシャ。
ガラシャはキリシタンとして知られていますが、実は大阪市東淀川区のあるお寺に埋葬され、お墓が残っています。そのお寺とはどこでしょう?
A. 西教寺(さいきょうじ)
B. 明教寺(みょうきょうじ)
C. 定専坊(じょうせんぼう)
D. 崇禅寺(そうぜんじ)
×【A】西教寺(さいきょうじ)
滋賀県大津市坂本にある天台宗の寺院で、ガラシャの実家とゆかりが深いお寺です。
ガラシャの父はあの有名な明智光秀です。光秀は坂本の城主として西教寺の復興に尽力。明智家の菩提寺となり、境内には光秀とその一族、ガラシャの母・煕子(ひろこ)の墓が残っています。
×【B】明教寺(みょうきょうじ)
大阪市東淀川区下新庄にある浄土真宗のお寺で、山号は「城地(じょうち)山」といいます。
寺の周辺は豊臣秀吉の家臣・中川清秀が新しい城を築いたため地名が新城(しんじょう)となり、転じて新庄に。それが江戸時代に「上新庄」と「下新庄」に二分されたといわれています。
×【C】定専坊(じょうせんぼう)
大阪市東淀川区豊里に立つお寺で、元々は奈良時代に行基が創建した寺院です。
南北朝時代に活躍した楠木正成の孫・正勝がこの地に隠れ住んだとされ、楠木氏を弔う五輪塔が今も境内に残ります。その正勝の子孫が出家し、寺は浄土真宗に改宗。寺名も定専坊となりました。
○【D】崇禅寺(そうぜんじ)
正解です。
細川ガラシャの墓があるのは、阪急京都線の駅名にもなっている崇禅寺です。
ガラシャはキリスト教の洗礼名で、元の名は明智玉。有力大名の細川忠興と結婚しましたが、関ヶ原の戦いの直前に玉造(大阪市中央区)の屋敷を西軍に攻められ、37歳で命を落としました。宣教師が彼女の遺骨を拾い、細川氏にゆかりのある崇禅寺に運んだそうです。
本堂の裏手にガラシャの墓として五輪塔が立っています。その隣には何と室町幕府6代将軍・足利義教(よしのり)の首塚が。実は将軍がここに葬られた縁で、摂津の細川氏が菩提寺として再興したという歴史があります。
大阪市淀川区加島4丁目にある香具波志(かぐはし)神社は、加島稲荷とも呼ばれ、とある文学者の墓碑が残されています。
加島稲荷に信仰を寄せ、一時期境内に住んでいたこともあるという、『雨月物語』で有名なこの文学者とは誰でしょう?
A. 井原西鶴
B. 谷崎潤一郎
C. 上田秋成
D. 紫式部
×【A】井原西鶴
江戸時代の寛永19(1642)年に大坂に生まれた、なにわのベストセラー作家です。
元々は俳句を詠んでいましたが、42歳の時に書いた『好色一代男』が大ヒット。人気流行作家となり『日本永代蔵』などの名作を残しています。
西鶴の墓所は大阪市中央区の誓願寺です。
×【B】谷崎潤一郎
明治、大正、昭和にわたって活躍した文豪で、代表作は『痴人の愛』、『卍(まんじ)』、『春琴抄』、『細雪』など。関東大震災のあと兵庫県に避難し、以降関西各地に居住しました。
墓所は京都市左京区・哲学の道近くにある法然院。自然石に「寂」の一文字が刻まれています。
○【C】上田秋成
正解です。
香具波志(かぐはし)神社ゆかりの文学者は、江戸時代の怪異小説集『雨月物語』の著者・上田秋成です。
大坂・曽根崎に生まれ、商家の養子となった秋成は、幼少期に病で生死をさまよいましたが、養父が加島稲荷(香具波志神社)に祈願して一命をとりとめました。以降、加島稲荷への参拝を怠らなかったそうです。
成人後は商家を継ぎましたが、30代で『雨月物語』を執筆。さらに医術を学んだのち、加島稲荷の神職・藤氏に招かれて境内に住んでお医者さんになったそうです。
現在も境内の少し北側に藤氏が立てた秋成の墓碑が残っています。
×【D】紫式部
古典文学の最高傑作のひとつ『源氏物語』を書いた平安時代の女流文学者です。
物語を執筆した邸宅跡は京都市上京区の廬山寺(ろざんじ)、物語の着想地は滋賀県大津市の石山寺といわれます。
晩年は紫野(京都市北区)で過ごしたとされ、堀川通り沿いに紫式部墓所があります。
大阪市東淀川区には、平安時代末期に活躍した歌人・西行が江口の里に住む遊女と出会ったという伝説が残る場所があります。
この遊女が仏門に入り創建した庵は、「江口の君堂」とも呼ばれているのですが、東淀川区南江口にあるこのお寺は次のうちどれでしょう?
A. 寂光寺(じゃっこうじ)
B. 野崎観音
C. 勝持寺(しょうじじ)
D. 法金剛院(ほうこんごういん)
○【A】寂光寺(じゃっこうじ)
正解です。
東淀川区の淀川沿いは、古くは「江口の里」と呼ばれ、京都と西国を結ぶ水上交通の要衝として栄えた場所。いわば港町の繁華街でした。
そんな江口にいた遊女・妙(たえ)の元に偶然やってきたのが、旅する歌人・西行法師。彼女に一夜の雨宿りを願いますが、断られてしまい、恨みつらみを和歌に詠みました。すると彼女は即座に歌を返します。妙は実は没落した平家の娘で、教養を備えていたのです。
この歌問答は能の謡曲『江口』などで語り継がれるエピソードとなりました。
のちに妙が仏門に入って創建したのが現在の寂光寺、通称・江口の君堂です。
×【B】野崎観音
大阪府大東市野崎にある禅宗寺院です。江戸時代から伝わるお参り行事は「野崎まいり」と呼ばれ、今も毎年5月1~8日に多くの参詣者で賑わいます。
境内には、寺を再興した江口の遊女・妙(たえ)をまつるお堂「江口の君堂」があり、女性を守る仏様として信仰されています。
×【C】勝持寺(しょうじじ)
京都市西京区大原野にあるお寺で、創建は飛鳥時代という古刹です。
平安時代、鳥羽上皇に仕える武士・佐藤義清(のりきよ)がこの寺で出家し、西行と名乗りました。境内に庵を結んで1株の桜を植えたと伝わり、その桜が「西行桜」。現在は別名“花の寺”とも呼ばれています。
×【D】法金剛院(ほうこんごういん)
京都市右京区花園にある、通称“蓮の寺”です。
平安時代に鳥羽天皇の后・待賢門院(たいけんもんいん)璋子(しょうし/たまこ)が極楽浄土を模した庭園を持つ法金剛院として整備。一説には高貴で美しい待賢門院を西行が深く思慕していたとされ、数々の歌を残しています。
写真提供:(公財)大阪観光局
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