十三・淡路・上新庄 TOKK
Clouds
8.15
WEB版「TOKK」が「TOKK関西」にリニューアル
URLが変更になりました
検索する
閉じる
十三・淡路・上新庄 TOKK
Clouds
8.15
26.03.23
S子
京都生まれ・京都育ち・大阪在住。関西の街ネタ系出版社や仕事情報系出版社に勤務し、関西の街・文化・人・食にまつわる企画の編集・取材・執筆に多く携わった後に独立。

阪急十三駅から商店街を抜け、広い淀川通り沿いを少し歩いた先のビルの2階。気をつけていなければ通り過ぎてしまいそうな場所に、「沿線の弓道部の聖地」と噂される店があります。店の名前は「猪飼弓具店(いかい きゅうぐてん)」。創業から約85年、三代にわたって弓道に向き合う人たちを陰で支え続けてきた弓具店です。
伝統武芸の道具を扱う老舗と聞くと、どこか敷居の高さを想像してしまいますが、それは、まったくの杞憂(きゆう)でした。扉の向こうにいた三代目店主・猪飼英樹さんは、驚くほど気さくな笑顔で迎えてくれたのです。
学校で弓道部に所属する学生、定年後に新しく弓道を始める人、かつて経験があり再び弓を手に取る人――。「猪飼弓具店」には、実にさまざまな人が訪れます。年齢層も、小学生から90代までと幅広く、道具の購入だけでなく、修理や調整、相談など、目的も多岐にわたります。
店内には、弓や矢、弦、弓道着、カケと呼ばれる専用の手袋など、弓道に関する道具が、圧巻の量で並びます。思わず目を見張っていると、「在庫数はかなり多いと思います。日本随一じゃないかな」と笑う店主の猪飼英樹さん。祖父・秀重さん、父・英一さんに続き、三代目として店を守ってきました。

職人が手がけた弓が整然と連なる空間は、どこか博物館にも似た静けさをたたえています。伝統武芸を扱う店らしい凛とした空気が流れる一方で、英樹さんの接客は明るくて親しみやすく、とても丁寧。「これがいい」と押し付けることがなく、初心者の相談に1時間以上向き合うことも珍しくありません。

体格や経験、技術、弓の引き方のクセ、そして予算。合う道具は人それぞれ。納得できる一つに出合うまで、猪飼さんは根気よく話を聞き、豊富なラインナップの中から選択肢を示していきます。
こうした接客の姿勢には、幼いころから祖父と父の仕事ぶりを間近で見て育った経験が影響しているといいます。
「二人とも人として本当に魅力がありました。喋りも上手で、お客さん一人ひとりを楽しませながら丁寧に向き合っていました。今でも、父に接客してもらったというお客さんから『また買いたい』と連絡をもらうことがあります」

英樹さんにとって弓道は、生まれたときから身近にある存在でした。しかし、弓道の世界を強いられたことはなかったといいます。
学生時代はラグビーやアイスホッケーに打ち込み、教師やスポーツインストラクターを夢見たこともありました。しかし大学卒業を前に、「結局ほかにやりたいことが見つからなかった」と、家業に入る決断をします。
それは、店を始めた祖父・秀重さんも同じだったのではないかと、英樹さんは振り返ります。
秀重さんは、親戚にあたる京弓の名門・十九代柴田勘十郎氏のもとで修行を積み、昭和16(1941)年、滋賀県栗東市(りっとうし)で弓師として独立しました。当時は将来の見通しが立ちにくい時代で、「生活するため」に身近なツテを頼って選んだ仕事だったのです。

太平洋戦争が始まるとビルマ(現 ミャンマー)に出征し、捕虜となる過酷な体験もしました。帰還しても、戦後の混乱は続き、秀重さんは職人として弓をつくるだけでなく、自ら売り歩く道を選びます。栗東から大阪の弓道場へ電車やスクーターで通い、直接弓を届ける。職人でありながら商人でもあるその姿は、当時としては珍しかったのではないかと英樹さんはいいます。
やがて得意先が増え、大阪・十三に住居兼店舗を構えたのが昭和32(1957)年。現在の店から少し離れたところでした。
「今は倉庫として使っています。どうして祖父が十三を選んだのかは分かりません。父がまだ5歳くらいの頃だったと思います。私も十三で生まれ育ちました。いろんな人が集まる個性的な街で、おいしい店が多い印象ですね」
ちなみに、店のトレードマークには、秀重さんのビルマでの経験が刻まれています。現地の人に助けられた恩返しとして、アンコールワットの壁画の一部をモチーフにしたものだそうです。

祖父と父の背中を見ながら店に立つ日々。しかし英樹さんが40歳のとき、大きな変化が起こりました。祖父が亡くなり、ほどなく父も他界。まだ先だと思っていた代表の座が、一気に現実のものとなったのです。
「祖父も父も、私の目標でした。亡くなってしまって超えられない存在になりました」
だからこそ、自分なりのやり方で店を守りたい。もっと店を知ってもらう方法はないだろうか。そうして英樹さんが踏み出したのが、SNSや動画での発信でした。まだ活用している人が少なかった10年前から個人アカウントでも発信を続け、いまではフォロワーが1万人を超えています。
9月10日を「弓道の日」として申請し、大会を開催するなどの普及活動も展開。地元の小学生を招き、社会見学の機会を提供し続けたこともあります。

さらに、オリジナル商品の開発にも力を注いできました。ときには、弓道界の外の発想も取り入れながら、新商品を生み出し続けています。
たとえば、店オリジナルのブランド「梓」の弓。有名弓師の製品と同等の品質を、「梓」名義で販売することで、価格を約3万円も抑えています。長年築いてきたメーカーとの信頼関係があるからこそ実現した一本です。

完全オリジナルで開発した弦も人気商品のひとつ。弓を放ったときの澄んだ弦音(つるね)と反発の強さを、安価な合成繊維で再現しています。
なかでも「極」は、麻弦(あさづる)の使い心地に限りなく近づけた代表作で「自分が責任を持ってすすめる商品だと伝えたい」と、パッケージに、英樹さん自身の写真が使われています。


近年は、弓道着や袴にも力を入れています。紐の長さや素材、着心地といった現場の声をもとに改良を重ね、従来の常識にとらわれない価格と機能性を両立させました。

在庫数を増やし、オリジナル商品を開発し、SNSで弓道の魅力を発信する。そのすべての根底にあるのは、「お客さんにワクワク、ドキドキしながら悩んでほしい」という思いでした。
「主人公はお客さん。自分がお客さんだったらどう思うかということを常に考えています」

だからこそ英樹さんは、プレイヤーにならず、サポーターであり続けることを貫いてきました。知識を得るために弓を引くことはあっても、弓道家への道には進まない。競技の世界に入り込めば、深くのめり込み、自分の経験や価値観を基準に道具をすすめてしまうかもしれないと考えるからです。
「祖父からも『弓道はたしなむ程度でいい。うまくなるな』と言われていました」
一人ひとりに合う道具をフラットなスタンスで提案するためには、大会に出る人や段位を目指す人と同じ土俵に立つわけにはいかない。弓具店の家に生まれ、職業として選びながらも、弓道との距離を保ち続けることこそが、三代目・英樹さんの強みだといえるのでしょう。
今、英樹さんが見据えているのは、弓道界の未来です。
「弓道の敷居を少しでも下げたいんです。一人でも始める人が増えれば、その周りに興味を持つ人がきっと出てくる。小さな世界だからこそ、広がる余地があると思っています」
SNSでの発信や弓道にまつわる企画づくり、オリジナル商品の開発。10年以上続けてきた取り組みを、これからも変わらず積み重ねていくつもりだと話します。
また、ネット通販が当たり前になった今だからこそ、実際に店に足を運び、道具を手に取りながら選ぶ体験の価値も知ってほしいと話します。ノベルティの配布や購入後の無料メンテナンス、新商品の展示など、「足を運んでもらう理由」をつくる工夫も続けています。

「ここに来れば何か発見がある。また来たいと思ってもらえる店でありたい」
戦争の混乱のなか、弓づくりから始まった「猪飼弓具店」。三代目の今、その役割は弓道という文化を未来へつなぐことへと広がりつつあります。
いつもお客さんを支える側に徹すること。小さな世界を少しずつ広げていくこと。
その思いを胸に、猪飼英樹さんは今日も十三の店頭に立っています。

| スポット名 | 猪飼弓具店 大阪本店 |
| 営業時間 | 月~土曜/10:00~19:00 日曜、祝日/10:00~15:00 |
| 定休日 | 水曜、盆・年末年始 |
| 問い合わせ | 06-6301-2019 |
| アクセス | 阪急十三駅下車 約8分 |
| 住所 | 大阪府大阪市淀川区木川西2-2-4【MAP】 |
| URL | https://ikai-kyugu.jp/ |
ライター
おすすめ記事
おすすめエリア