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25.11.25
猫田 しげる
北海道出身。20年以上、グルメ雑誌、タウン誌、旅行本、レシピ本などの編集・ライター業に従事。京都や東京など各地を行ったり来たりした挙句、現在は大阪在住。

初詣や十日えびす、秋祭りや七五三など、行事や歳時記の折に吹田市・山田エリアの人は伊射奈岐神社を訪れ、日々の安全や健康を祈ってきました。阪急山田駅や万博記念公園からも近い住宅街にあるため、通勤や散策ルートとして通る人も多いようです。今回はそんな伊射奈岐神社について、歴史や年中行事、境内の意外な見どころなどについて掘り下げてみました。読めばますます、伊射奈岐神社を訪れた時の感動や味わい深さが倍増するはずです。
伊射奈岐神社の歴史は古く、平安時代中期の延長5年(927)に編纂(へんさん)された『延喜式』神名帳に神社の名が記されています。
大阪府誌によると、豊受大御神(とようけのおおみかみ)の御霊が丹波から伊勢に遷座された雄略天皇代の478年に、伊勢神宮の斎宮で天照大御神(あまてらすおおみかみ)に仕えた最高の巫女である倭姫命(やまとひめのみこと)が、伊射奈岐之命と伊射奈美之命の両大神を山田の地に祀るように示教(しきょう)したと伝わります。
その命によりこの地に伊射奈美之命が祀られたのが始まり。

吹田市・佐井寺(さいでら)地域の伊射奈岐神社には伊邪奈岐之命が祀られていると記されています。
また「山田」という名も伊勢神宮のある宇治山田から移されたと言われ、山田の伊射奈岐神社は「姫宮」、佐井寺の伊射奈岐神社は「奥宮」と呼ばれ区別されています。
伊射奈岐神社の主祭神は伊射奈美之命で、結婚・安産・厄除の神様として崇敬されています。
同じ本殿に違う神様を祀られることを「相殿(あいどの)」と言いますが、伊射奈岐神社の相殿は学業成就・開運厄除の神様「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」、スポーツ・開運の神様「手力男命(たぢからおのみこと)」、雨乞い・雨止めの神様「天忍熊根命(あめのおしくまねのみこと)」、豊漁・豊穣・商売繁盛の神様「蛭子命(ひるこ のみこと)」。
つまり、どんなことにもご霊験(れいげん)がある神社と言っても間違いではありません。
伊射奈岐神社は由緒ある神社(式内社・しきないしゃ)が名を連ねる『延喜式』神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記載され、格式高い「大社」と認められました。

本殿は建築様式などから17世紀末(江戸時代中期)に造られたと考えられます。
切妻(きりづま)屋根の前面が長い「五間社流造檜皮葺(ごけんしゃながれづくりひわだぶき)」で、「五間社流造」とは、社殿正面に6本の柱があり、その間隔が中央から端になるにつれ狭くなっている造りを言います。
これは、神様への敬意を表すため本殿中央を強調させるとともに、建造物としての安定性を高める独特な様式だそうです。

社殿は天正年間(1573〜1593年)の戦乱で焼失しましたが、江戸時代中期に再建されました。現在の本殿はこの頃に造られたものです。
一般に公開されませんが、柱や天井、脇障子などに華麗な木造彫刻が施され、細部にも龍や麒麟(きりん)、象、鳳凰など華麗な聖獣の装飾が施されています。昭和45(1970)年に拝殿が改築されました。

なお本殿は、大阪府下では大変珍しい神社建築様式であることと、その装飾性の高さから、平成23 (2011)年に大阪府指定文化財に登録されました。

明治時代までこのあたりは「山田村」と呼ばれていました。山田上(かみ)、山田中(なか)、山田別所(べっしょ) 、山田小川(こがわ)、山田下(しも)という5つの村が、明治22(1889)年に合併して「山田村」になり、昭和30 (1955)年には吹田市に合併。
千里丘陵の中腹に位置し、かつては深い山間にありましたが、現在は住宅地に囲まれ、山田から千里丘や千里ニュータウンまでを守る産土大神(うぶすなおおかみ)として慕われています。
伊射奈岐神社へのアクセスは、阪急山田駅からバスで10分ほどの新小川停留所下車、徒歩約4分。バス停から府道2号線を歩いていくと、谷のような下り坂になり、再び急な坂を上がると山田伊射奈岐神社へ到着します。


帰りも、阪急山田駅までのバスが比較的間隔を置かずに通っているので、マイカーを使わなくてもアクセスできるのが便利です。なお阪急山田駅には大阪モノレール山田駅、複合商業施設デュー阪急山田などが隣接しており、非常に利便性が高いエリアです。
伊射奈岐神社の鳥居の先には小さな川が流れており、石の小橋が架かっています。この川も、伊勢神宮のそばを流れる五十鈴川(いすずがわ)のように美しく神聖な川で、昔は神輿が川の中を渡御する「川渡御」も行われていたそうです。

境内の入り口で大鳥居が迎えます。もともとは慶安3(1650年)に作られた花崗岩製の明神鳥居がありましたが、平成30年に発生した大阪府北部地震で被害を受け、解体されて入り口の右手に移設。現在の大鳥居は令和元年に新たに建造された真新しいもので、6mもの高さがある立派な鳥居です。

伊射奈岐神社の境内の見どころの一つが、階段手前に鎮座する狛犬。まるでカメレオンのような不思議な生き物の姿をしており、右側の狛犬は一角獣のように角があります。
これは明治末期に氏子の一人が中国・大連に旅行した折、金州城(きんしゅうじょう)の屋根に乗っていた動物の置物を購入し、これをもとに石像を作ってもらって奉納したもの。台座には「明治三十六年三月刻」という銘が刻まれています。

少し進むと右手に弁財天と「重守稲荷(しげもりいなり)神社」があります。
社殿に続く神橋は、もともと山田川に架かっていたものを移築したそう。池には雨水を溜めるので晴れた日は水が空っぽですが、市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)が祀られる弁天さんや、苔むした灯籠などが、昼でも風情ある雰囲気を醸し出しています。


本殿へと続く参道を進み43段の石段を上ると平地になっており、拝殿、手水舎、社務所などの建物が並んでいます。拝殿にはお宮参りなどの祈祷の際に入ることができます。拝殿の奥には御神体を祀る本殿が立っており、特に神聖な空間となっています。

拝殿の左に立つのは末社で、八幡宮、八王子社、天満宮の三社があります。応神天皇、八王子神、菅原道真が鎮座し、中央の応神天皇は両側に随神を従え毅然とした佇まいです。


社務所では御朱印をいただくことができ、各種お札やお守り、絵馬、御神矢、干支飾りなどの授与品もあります。
ちなみにお守りにはその神社ごとに祈祷された御神璽(ごしんじ)が封じられており、全て神社によるオリジナルだそうです。伊射奈岐神社にはペットお守りがあるので、愛犬・愛猫たちのご利益も授かりましょう。


伊射奈岐神社の年中行事として、主に元旦祭、戎祭(えびすまつり)、春祭、秋祭、除夜祭が行われます。
初詣の時期は近隣中から大勢の参拝客が訪れ、山道には露店が出て大変な盛況です。また戎祭はいわゆる「千里山田えびす」として有名です。毎年1月9日に「宵戎」、10日に「本戎」、11日に「残り福」が執り行われ、近隣の会社やお店、一般の人々が福笹や福熊手など縁起物を求めて来社します。

何と言っても10月の秋祭りは、伊射奈岐神社の最も重要な年中行事と言えるでしょう。江戸時代からの伝統を受け継ぎ、山田地区を挙げてのお祭りと呼べるほどの大規模なイベントです。この日は町中がお祭りムード一色に包まれ、境内には露店が並び、夜まで大いに賑わいます。

ハイライトは子どもが「乗子(のりこ)」となり太鼓に乗って町内を練り歩く神輿巡幸。クライマックスでは、太鼓を境内に立てた神木に当てる「木あたり」という力比べのような神事を行います。

太鼓は神を迎えることを意味し、力比べは豊凶を占った名残とされ、太鼓巡幸は吹田市無形文化財に指定されています。
ですが、秋祭りだけではなく、先に述べた通り、戎祭や春祭りも地域で昔から親しまれている行事です。また年に2回、伊射奈岐神社の参道を舞台とした「吹田山田手作り市」も行われており、アクセサリーや小物、フードなどの販売、ライブなどで盛り上がります。
子どもの成長の節目を祝い健康を願う七五三も、地域で暮らす家族にとって大切な行事。伊射奈岐神社は、近隣のみならず大阪市内や遠方からも七五三のお詣りに訪れる人気スポットで、期間中に1,000組を数えるほどだとか。時代の変化とともに七五三詣りをする家庭も少なくなり、それに伴って受付をする神社も減っているので、お詣りができるのは有難い存在です。
ご神職によると「地元だけでなく、他の地域からも多くいらっしゃいます。今はインターネットや口コミの影響も大きいですね」とのこと。提携するフォトスタジオもあるので、着物を着て境内で素敵な写真も撮影してもらえます。
令和7(2025)年の伊射奈岐神社秋祭りの太鼓神輿巡幸は10月12日(日)に行われました。
この日も、朝8時に太鼓部屋の扉が開き、乗子が乗った太鼓が境内の石段を勢いよく駆け下りると、巡幸がスタート。エッサエッサの掛け声とともに、山田の町を太鼓と神輿が勇壮な姿で練り歩きました。


当日は雨が心配されましたが、見どころの一つである打ち込み太鼓や交差点前練りでも雨にあたらず、多くの観衆に見守られる中、18時頃に神社に帰還。勇ましい木あたり、宮入りの儀式が盛大に行われた後、最後は胴上げと乾杯で今年の無事開催を労いました。


太鼓を担ぐのは、山田に5地区(上・中・別所・小川・下)から選ばれた若手で構成する「担手(かきて)」たち。先頭で指揮するのが「棒張(ぼうはり)」と呼ばれ、担手を何年も経験しない任せられない重要な役だそうです。
太鼓に乗る「乗子」は5地区から小学4年生の男の子が選ばれます。乗子自身と衣装そのものが神聖であり、彼らの地面に体がふれないように担手が肩に乗せて移動します。
なお、年齢を重ねて「担手」と「棒張」を卒業すると、「世話方」と呼ばれる裏方となって巡幸を支えます。
秋祭りは江戸時代から続く一大神事なので、この日のために1年かけて準備を進めているといっても過言ではありません。第二次世界大戦後は若者の減少によって巡幸が中断されたこともありましたが、住人の熱意により「伊射奈岐神社太鼓御輿保存会」が結成され、歴史が再び繋がれました。
現在でも保存会が取り仕切ってメンバーの選出や練習が行われ、毎年6月頃から山田では祭りの準備が本格化します。こうした、地域一体となったお祭りへの取り組みは、単なる信仰だけでなく「神様への崇敬」「自然への感謝」といった先人の心を伝え、郷土を愛する気持ちを再確認するもの。
また、先輩から後輩、そしてさらに下の世代へと、伝統技術や礼節を教える機会でもあります。
平成10(1998年)には伊射奈岐神社の太鼓御輿が吹田市無形民俗文化財第1号に登録され、平成18(2006)年には「なにわ伝統芸能等功労知事表彰」を受賞するなど、その価値は公的にも認められました。
太鼓神輿巡幸は、単なる形式的な儀式ではなく、地域に住む人々の手によって育まれ、支えられてきた、まさに生きた伝統と呼べるのです。

はるか太古の昔から、土地を護る鎮守の神様として親しまれてきた伊射奈岐神社。
大阪市内の繁華街にある神社は、初詣やえべっさんの時は歩けないほどの人混みになることもしばしばですが、少し足を延ばした阪急山田駅エリアにある伊射奈岐神社は、比較的ゆったりとお詣りできるのが魅力です。
観光や参拝に訪れるのも楽しいですが、地元の方にも推したいポイントとしては、お宮参りや七五三などに利用しやすいこと。
拝殿横には家族や親族が利用できる立派な「参集殿」があり、冷暖房完備でテーブル席を備えた大広間のような近代的な建物です。年配者や幼児のご家族と一緒に行事に参加する際にも安心。建物に面した日本庭園も見事な景色です。

マイカー用の駐車場を完備していますが、公共交通機関でも駅からバスで簡単にアクセスできるので便利です。お祭りや行事がなくても、何もない日に訪れてぼーっとするのもオススメ。
ぜひ、伊射奈岐神社を日々の生活でのお出かけの選択肢に加えてみてはいかがでしょう。


| スポット名 | 伊射奈岐神社 |
| 時間 | 自由 |
| 休み | なし |
| 問い合わせ | 06-6877-592(受付時間は 9:00~16:30) |
| アクセス | 阪急山田駅→阪急バス山田宮の前停もしくは新小川停下車 約4分 |
| 住所 | 大阪府吹田市山田東2-3-1 【MAP】 |
| URL | https://www.izanagi-jinja.com/ |
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ライター
猫田 しげる
「FRIDAYデジタル」「食べログマガジン」「あまから手帖」「旅の手帖」「週刊大阪日日新聞」などで記事執筆。めったに更新しない猫田しげるの食ブログ 「クセの強い店が好きだ!(https://nekotashigeru.site/)」